椿の雑学

このページでは、椿にまつわる雑学をまとめています。

椿の街路樹

福江の中心商店街の街路樹は、昭和40年代頃から椿に統一され、市内や三井楽など道路上の街路樹の殆どは椿が植樹されています。

昭和初期の久賀島の椿

昭和9年発行の「五島民族民圖誌」によれば、

「椿樹は本島に最も好適し、島内の至る所に野生繁茂し、久賀島の岩屋観音付近の山の如きは、見渡す限りの全山が椿樹で埋まっている・・・

長崎県は全国においても第一位であるが、その八割は本島で産する處である」

と記され、食用、整髪用はもとより、当時としては貴重な現金収入の源でした。

椿の種類、花形、花弁

日本が原産の学名「カメリア・ジャポニカ」日本名で椿は、園芸種を含めて日本産で2000種以上、外国産で4000種以上と言われています。

咲き方は

一重、八重、千重、獅子、宝珠、牡丹、蓮華、唐子、二段、列弁、椀、平開、ラッパ・・・

と多彩で、色も

白~桃色系を経て紅、黒紅、紫

と幅広く、しかも花弁も

星斑(ほしふ)、筋入り、雲状斑、横杢(よこもく)斑、底白、縦絞り、小絞り、紅覆輪、白覆輪、吹掛絞り

などがありますが、これらの先祖もわずか30種ほどの日本椿です。

椿を刈ると罰金!?

古来より、五島では椿が大事にされています。

例えば久賀地区では、市町村の合併を経た今でも、椿の保護条例が生きています。その内容は

「濫り(みだり)にこれを伐採してはならず」(第二条)

それがたとえ椿の改良、手入れその他やむを得ない場合であっても、これを伐採しようとするときには、「伐採許可申請書」(第三条)を市長に提出し、許可を受けなければならないとされています。

更にこれに違反した者は、

「科料に処する」(第四条)

ともあります。

※科料とは、罰金よりも小額の刑罰

空海と椿

空海が中国に渡る時、風待ちに五島に立ち寄っていることは、よく知られています。

この空海が中国での厳しい修行を終え、帰途五島に立ち寄って、色々な技術を持ち帰り、広めたことも事実ですが、その技術の一つに炭焼があります。

その後、炭焼が五島全域に広がり、最盛期には至る所で炭が焼かれました。中でも椿炭は火持ちがよく、火の粉が飛ばない炭として小鉢用や茶の湯の墨として引っ張りだこだったそうです。

五島の古代遺跡と椿

昭和43年、五島の福江港に近い瀬小川下流の県道から瓶に入れた椿の実が沢山発掘されました。

約4000年前の縄文時代中期のものだそうですが、薬用に用いられたと推察されています。

古代遺跡から茶の実が発掘された先例はありますが、椿の実は前例がありません。

現代のヤブツバキよりも少々小さいですが、植物学所の中村九朗氏は農協新聞に椿と発表しました。(岡田喜一氏)

季語としての椿

俳句の季語では、「ツバキ=春」です。

木へんに春と書く椿の字は、日本で生まれた造語であると言われています。

春には桜や桃といった派手な花に圧倒されて、霞んでしまうのは何とも惜しいですね。

ちなみに花暦では、ツバキは水仙と共に二月の花です。

五島でも椿の見ごろは二月で、椿祭りも行われています。

椿は花だけではない!?

「椿の鑑賞されるところは、葉と花と枝ぶりと総合美にある。」

と言われるように、花だけを観賞するようでは、本当の椿通とは言えません。

日本ツバキ協会編の「ツバキ・サザンカ名鑑」によれば、奇形樹椿には七変化型、雲竜型があり、近年では枝垂れ型も人気があるようです。

葉にも、金魚葉、ヒイラギ葉、トックリ葉が有名です。

椿の大木

五島における椿の大木は、県指定天然記念物の大窄の大椿が有名です。

福江島の他、久賀島もあわせると、これに類する大木が数十本存在します。

全国的には、愛媛県内子町江子の465cmの老木の他に、富山県氷見市老谷の350cmの大木、岩手県大船渡市泊里の巨木など、他にも大きいものが各地に存在するといわれています。

椿葉の効用?

昭和30年ごろ、頭にシラクモ(頭部の皮膚や毛に皮膚糸状菌(ひふしじょうきん)が感染したもの)が出来る子供が多かったそうです。

当時は治し方さえもよく分かっていませんでした。

そんなある日、母親が椿の葉で子供の頭をこすってくれました。

それを何回か繰り返すうち、治ってしまったそうです。椿の葉に殺菌・抗菌作用があることは、昔からよく知られていたそうですね。

椿の炭

椿の炭は、樫の木に次ぐ堅い木の代表株です。

五島では、椿は油を締めることが目的の木であったから、炭にする発想がなかったと考えられます。

椿の木を伐採することが可能な植裁法の開発に依れば、炭の製造もできるかもしれません。

椿の灰

椿の灰は、染織の媒染剤として、あるいは陶芸における釉薬(うわぐすり)としての価値が認識され、専門家の間で重宝されています。

幾久山の綱引きの椿

幾久山の地を開いた第十七代宇久盛定公の次男、宇久善助盛重公は椿を珍重していたそうです。

実際、その戒名にも天福寺殿大椿存広大居士とあるほどです。

そのいわれから、1月23日の幾久山で行われている綱引きの際には、綱の中央に椿の花のついた小枝を差し込むようになったといわれています。

椿油と健康

椿油は、植物油脂中、最も多くのオレイン酸を含み、リノール酸が極めて少ないです。

そのため、空気中に放置しても油が酸化しにくく品質が安定します。

不乾性油であるため、薄く延ばして空気中に放出しても、乾燥しないので効果が肌や髪で持続します。

椿油の主成分は人の皮膚から分泌される「皮脂」の成分ときわめて似ているため、筋肉注射の際に使われたりします。

潜伏キリシタンの葬送

キリシタンの葬式で送る棺の中には、「おみやげ」と称して「バスチャンの椿」の木片と「ローマで迫害を受けたときの血染めの布」を少しずつ入れるのがしきたりでした。

キリシタンが弾圧された時代に、椿林の根本で密かに会合が行われていたことからでしょうか。

「バスチャンの椿」とは、宮崎賢太郎氏によれば、外海地方の東樫山の麓にあった椿の大木のことです。

日本人伝道士であるバスチャンが、その椿の幹に指で十字を記すとその跡がはっきりと残ったという由緒ある霊木でしたが、浦上三番崩れの影響でこの椿が役人に切り倒されるという噂が流れ、信徒たちが切り取り各家に分けたそうです。

大村寿司と椿

角寿司は五島の富江でも伝統料理の一つとされますが、全国的に知名度の高いのは大村寿司です。

その大村寿司に椿の葉が添えられている理由は、殺菌力があるからだといわれています。色合いも鮮やかです。

資生堂花椿会

花椿マークは大正4年(1915)に誕生しました。

当時、資生堂の商品の中では、「香油花椿」(整髪油)が最も人気があり、資生堂といえば「花椿」が連想されるほどであったことから、椿のデザインが商標として採用されていたと言われています。

現在の「花椿CLUB」のHPはこちらから

椿は不吉な花?

江戸時代、花がポトリと枝から落ちる特徴が打ち首のイメージと重なり、武士にひどく嫌われ、縁起の悪い花との迷信が生まれたそうです。

しかしながら、

  • 中国では唐の時代、椿油が不老不死の霊薬の一つとされ、それを求めて日本にやってきたこと
  • 樹齢が数百年を経ても枯死せぬ常磐木であること
  • 日本各地に「延命長寿」の木として正月飾りや椿にまつわる祭りが存在していること

などからも、決して椿が不吉なものではないことが分かります。